「あ」
少し後ろで髪を春風に踊らせ、楽しそうにゆったりと進めていた足を不意に止めたアドラーに、ファンゴは振り返る。
アドラーは、歩道の道端に置かれた花壇を見つめるようにしゃがみこんでいた。
ファンゴは、幼い大きな瞳を訝しげに細めて、微笑む彼の隣に立つ。
「どうしたんだ?」
軽く腰を曲げて、アドラーの見ているものを辿るように、ファンゴは視線を下げる。
そうして、アドラーが、花壇に軽やかにみずみずしく咲き誇っている花を見つめていることに気づいたファンゴは、あぁ、と納得したように微笑んだ。
「花だ」
そういって、朝露にぬれた花のひとつを、撫でるように指先で触れる。
まるで朝焼け前の空の色を宿したかのような紅色を帯びた花弁は、身を縮めるかのように微かに震えた。
花弁の控えめだが美しい行動に、思わずファンゴは苦笑する。
「きれいだなぁ」
アドラーと同じように花壇の前にしゃがみこむと、ファンゴは微かに首をかしげて、下から覗き込むように花を観察する。
そんな純真で子供らしい仕草にアドラーは小さく微笑んで、目の前の紅を指差した。
「この花の名前を知っているかい?」
アドラーの楽しそうな視線を受けて、ファンゴは逡巡した後、軽く首を横に振る。
「しらない」
教えてくれるのか?と問いかけの目線を送れば、返ってきたのは彼に似つかわしくない、少しだけ意地悪そうな、けれどやはり慈しみを絶やさない瞳だった。
「さぁ、なんだろう?」
ファンゴは珍しくアドラーにからかわれていることを察すると、少しだけ眉根を困ったように寄せる。
アドラーはそんな少年を横目で見つめて、くすくす、と楽しそうに小さな笑いをたてる。
可愛いな、可笑しいな、なんて平和的なことをゆったりと思いながら。
「きっと、喜ぶと思うよ。
 ―――この花は、ゼラニウムと言うんだ」
そういって、不意に吹いた春の突風にあおられて、ひとつふたつ、親元を離れた花弁を掬い取り、アドラーは軽く口を寄せる。
まるで愛しいものに口付けをするかのように。
「ゼ、ラニウ、ム」
ファンゴはその光景をきれいだと思いながら、せっかく教えてもらった花名を忘れまいと、なれない様子で繰り返す。
アドラーは嬉しそうにうなずいて、花弁を乗せていないほうの腕に持っていた魔本を出した。その上に小さなゼラニウムが空中をひらひらと軽やかに踊って着地する。
ファンゴは、軽く目を見張った。
「・・・あ」
―――同じ色だ。
「驚いただろう?魔本を最初見たときから、ずっとこの花の色だとおもっていたんだ」
そういって、ファンゴは数枚のゼラニウムの花弁のうちのひとつを、ファンゴの手のひらに乗せる。
「僕たちの色だ」
きれいだろう?と青く透き通った水底の色が、暖かく光を帯びてファンゴを見つめる。
ファンゴは、大切な宝物を見つけたみたいに、手のひらに乗せた花弁をとても優しい両手で囲む。
やわらかい春の日差しのような微笑みが惜しげもなくすんなりとあふれた。





「ああ。とっても」










ゼラニウムに対しても常に勘違いを繰り返している夏樹です。
ファンゴとアドラーは非常にきらきらしていると思います。や、きらきらって何だ(苦笑)
最後の方のシーンが書きたくて書いた話だったので書き出しに困りました。いつもそう(笑)