戦闘中、目を離した一瞬の出来事であった。
ふわり。
バニキスの身体は消える寸前、最後に足掻いた戦闘相手の術に煽られ、背後の断崖絶壁へと放り出された。
「バニキス!」
リオウは焦った。駆け出すと、バニキスの細い手をつかんで、断崖に放り出された彼の身体を引き止める。
片手だけ掴まれたまま宙に放り出されたバニキスの身体は風にあおられ、まるで人形のようにゆらゆらと揺れた。
「おぉ、怖ぇ!」
バニキスは軽い笑みを浮かべて、深い奈落へと続く谷底を覗き込む。
その表情はどこまでも冗談の範囲でしかないそれだった。リオウは心底憎々しげな舌打ちを下に落とす。
「馬鹿か貴様は!ふざけていないで自分で上がる努力ぐらいしろ!」
怒りで血がのぼったリオウは、何時ものように彼に湧き上がった感情をぶつける。
けれど、バニキスは素直に従うどころか、益々魔物の怒りを買うように、口の端をゆがめて笑った。
強い風と奈落から迫り来る声に負けずとバニキスは叫ぶ。
「嫌だね!」
「―――貴様、そんなに落とされたいか!」
リオウは、一瞬唖然とし、そして額に浮かべた青筋を震わせると、とうとう怒りの臨界点を突破させた。
バニキスはそんな状況すらも楽しむように、愉快そうな声を上げる。顔を上げて、リオウを鼻で笑った。
「俺は非力なもんで。一人で崖を這い登れるような、立派な根性は持ち合わせていないのさ!なぁ王様、そんな無力な俺を引き上げてくれるかい!」
――――なぁ王様!
完璧に馬鹿にする口調と笑いを浮かべて侮辱とも取れる(いやそうなのだろうが)台詞をこの危険な状況でのうのうと吐く男を、この時リオウは本気で抹殺しようと考えた。
本当ならばこんな人間、塵さえ残さず一瞬で消してしまいたいところなのだ。
(だが、何の因果か、この男と俺は皮肉な運命で繋がってしまっている!俺の夢をかなえるためにはコイツの力が必要不可欠なのだ、あぁなんて最悪な運命だ!)
「―――この馬鹿が!!」
リオウは力ずくでバニキスを大きく宙に放り投げる。
彼の身体はふわり、とかくも簡単に放り出され、そうして盛大な音を立てて大地に不時着した。
リオウは衝撃で身動きが取れないバニキスの喉元に、普段愛用している杖の切っ先を突きつける。
「なんとも過激な愛情表現だな」
「本当に五月蝿い口だな、それは!いっそ潰してしまおうか?」
「壊したいほど愛してくれるのか?光栄なこった!」
―――どうしてくれようかこの男!!
リオウはどうしようもない怒りを右手に預けて、衝動で杖を振り下ろした。鋭い音がして、切っ先はバニキスの顔面かろうじて真横の大地を抉る。
バニキスはそれでも余裕綽々といった口笛をひとつならして危ねえな、なんて呟いた。
「怒るなよ、王様」
「五月蝿い!」
「悪かったよ、王様!」
「五月蝿いと言っている!」
実はリオウの怒りに気付いているくせに、こうやって益々感情をあおるのは、いつものバニキスのやり口である。
思い上がった自尊心だけ無駄に高いこの魔物を怒らせたいだけなのだ。バニキスは。
だから、バニキスは自分の思い通りの表情をリオウにさせられたことに、心底愉快で満足だった。
さて、冗談はこれぐらいでよしておこう。この魔物に精々殺されないうちに。
バニキスはのろのろと、それはもう苛立つぐらいの芝居がかかった動作で起き上がった。
「行こうぜ、王様。まだまだ道のりは長いんだろう?」
勝手に自己満足して、自分だけすっきりとした晴れやかな笑みを浮かべると、バニキスは立ち上がる。
リオウのまだ煮えあがった表情を拝んで、満足そうに頷くと踵を返して歩き出した。


「―――人間の力などいらなかったら貴様などすぐ殺してやるものを!」


後ろから怒りの余り震えた声が、響く。
バニキスは荒涼とした大地とただ広がる青空の下で、笑った。



「でも俺が必要だからまだ殺せないんだろう?王様!」










腹が立つ我侭なバニキス、というのを書きたくて書いた話でした。
あとは魔物の術の余波(だと思ってください)ごときで吹っ飛ぶバニキスを書きたかった(爆笑)
いつだってどんな危機の元にいてもリオウをからかうことを忘れないのがバニキス。だと思ってます(笑)