まるで神に逆らう2人を罵るかのように、風が怒りの唸りを上げる。
それは鼓膜を冷たく、鋭く攻撃してきたが、バニキスは全く気にせずに顔をあげた。
数日前に見た荒涼とした大地と、青々しさを失い、硬い素肌を剥き出しにしていた山々が広がっていた風景は、異様な存在によって見事に崩されている。
閑散とした虚しさの残る大地には、巨大で重厚な「それ」が協和を唱える各々の中で、異質にそびえたっていた。
頂上は青空に吸い込まれてしまったかのように、果てが見えない。周りの山すらもはるかに越え、静かにそびえたつ建造物。のようなもの。
さんざん自分の思考が常識とはかけ離れていると自負しているバニキスですらさすがに「それ」の存在は許容範囲を軽々しく超えていた。おもわず開けた口のまま問いかけた。
「…なんだコレ?」
どこからどう見たって、全身を悪寒が這うほどの禍々しさを纏った「それ」は今は時を止めたまま、静かにそびえ立っている。
それが一層気持ち悪かった。
(まぁ、でも嫌いじゃない。少なくともこの世界に広がる、皆が美しいと言うような景色よりはよっぽど)
風の音でリオウにこの存在を問うた自分の声が掻き消えてしまったので、バニキスは少しだけ腹に空気をためて、もう一度言葉と息を一気に押し出した。
「なぁ、リオウ!なんだよ、コレ」
風で縦横無尽になびく髪を抑えながら隣に立つリオウに顔を向けると、普段凶悪的な面で眉間に皺ばかり寄せている彼は、バニキスが初めてみる笑顔―――まるでおもちゃを初めて与えられた子供のような―――で溢れる喜びを抑えきれないのか、輝く瞳で「それ」を見上げていた。
初めて見るリオウの子供らしい笑顔に、益々バニキスは驚きを隠せない。
(むしろそちらの方が驚きだ。俺がお前を喜ばせようとしたって、益々怒るくせに)
(わざと怒らせているのもあるのだけれど)
「…リオウ?なぁ、リオウ。これ…なんだよ」
もう一度、訝しげに、けれど強く名前を呼ぶと、リオウは僅か、ほんの微かに震える声音で、ただ一言呟いた。
(そう、本当に。これ以上歓喜に震える瞬間はないだろうってぐらい。)
「ファウード」
「……は?」
リオウにしては全く答えにならない、要領を得ない回答にバニキスは形のいい眉を顰める。
余程感情が高ぶっているのか、リオウは己を落ち着けるように一拍置いて、余計に語り始めた。
「魔導巨兵、ファウード。魔界では、知る者のみがそう呼んでいる。長い間魔界の民はその強大な力に恐れられてきた…と説明すれば解るか。
…俺達は、そのファウードを長年にわたり管理してきた尊い一族だ」
余計なのは、最後の一言。別にバニキスはそんなことは聞いていないのに。
(まぁいつもの事だから慣れている。なんてったってリオウは自分の一族を何よりも愛しているから)
「…んで、御託はいいから、これを何に使うって?」
ファウードと呼ばれる、目の前にあるコレが強大な力を持っているって事ぐらいは、見ていれば解る。知りたいのは、コレが何に役立つのかと言うことだ。
ひどく面白い予感が背筋をぞくりぞくりとこみ上げてくるもんだから、バニキスは興味深々な笑みを携えて問い掛けた。
リオウは可笑しそうにまたひとつ、ふっと笑いを零すと、再び口を開く。ここまでリオウが笑うのは本当に珍しい。
「……まぁ、お前たち人間の言葉に例えれば「兵器」というところだろうな。
しかも、この人間界に存在するような、生温いもんじゃない。世界を滅ぼすため、魔界で生まれた―――おそらく史上最強の兵器だ」
史上最強の、兵器。世界を滅ぼすための。
ほら、やっぱり面白い話じゃないか。
バニキスの背筋に快感にも期待にも似た感情が勢い良くこみ上げる。聞いているだけで心踊りそうな話だった。
目の前のファウードを指差しながら向けた表情も、問いかける言葉も、自然と愉しみで浮かれる。
「んで、この兵器で世界中を滅ぼしにでも行くのか?大層面白そうじゃねえか、話せよ。リオウ」
「……本当にお前はつくづく不思議な人間だな」
普通なら怖れるのが先だろう、と言うリオウの言葉にバニキスは鼻で笑ってみせる。
「そんな俺の姿が見たかったか?サービスで見せてやろうか」
「ふん。絶望と恐怖に歪む表情はたまらんぐらい好きだがな。お前相手だと気持ちが悪いわ」
問題発言の上、ひどいいいざまだ。バニキスは口元だけ歪めて、ファウードを横目で見る。
(むしろこんな面白そうな話を聞かされ実物まで見せられて、ゾクゾクこないほうが可笑しいにきまってる。まるでそっちの方がイカれてるみたいだぜ!)
リオウはそんなバニキスをちら、と眺めて、更に詳しいファウードの説明を施した。ファウードが人間界に送られてきた理由。何にファウードを利用するかの説明。
そしてリオウが語った、王への夢。
一通り説明を聞いたバニキスは、なるほどねえ、と納得したような息をつくと、不意に高ぶった感情を肺にたまった空気ごと笑いに変えて吐き出した。
「ははっ、傑作だな。ようは、コレで人間界を滅ぼすんだろ?」
「…別に滅ぼす必要はないがな。ファウードを使うと言う事は、必然的にはそうなるだろう。こんな世界、俺には何の関係もないしな」
フン、と見下すようにリオウは広がる海面と、大地に目を向ける。
境界すら曖昧で、偽の美を纏った世界は、余りにも醜く、そして滑稽に見えて仕方がない。こんな世界、いっそ壊したほうがいいと思えるほどだ。
だが、しかし。リオウはそこで隣のバニキスの存在を気にかけた。こいつはまがりなにも人間だ。
己の故郷を破壊すると聞いて、良い感情はさすがに浮かべないのではないかとリオウは懸念し、隣に立つ男に顔を向けた。
―――だがリオウの予想に反し、バニキスは心底愉快そうな笑みを薄い唇に浮かべファウードを見つめている。リオウは都合の良い事だとは言え、バニキスのその反応に少なからずの違和感を覚えた。
だから、思わず問い掛けの言葉が飛び出した。
「―――――いいのか?」
「あ?何が?」
「俺は、滅ぼすぞ、この世界を。たとえお前の故郷だろうが、居場所だろうが、関係ない。俺は王になればそれでいいからな。お前はそれでいいのか」
そう問いかけたリオウを一瞬、バニキスは驚いたように見て―――堰をきったかのように腹を抱えて笑い出した。
リオウは、完全に虚を突かれたバニキスの行動に半ば唖然とした顔で、大笑いする彼を見つめた。
バニキスは、完全に人としてどこかが欠落した表情でひとしきり笑った後、あっけらかんと答えを出した。
「いいぜぇ、俺とお前の手で世界を滅ぼすんだ。皆殺してしまうんだろう?
そんなの―――最高じゃねえか。むしろ―――望むところだ」
そこでリオウは改めて、バニキスが人間としての感情をほとんど欠如した人間だということを思い出した。余計な心配だったな、と流して終わらせる。
「いいのだな。もう、後戻りはしないぞ」
後戻りなど、できるわけがない。リオウは心の中で、重く、そう呟いた。バニキスはそんなリオウの感情を知って知らずか、いたって軽い口調で素早く返答する。
「あぁ、いいぜ。とっても楽しそうなお話じゃねえか」
そういうと、浮かれたようにもう一度、バニキスはファウードを見上げる。
つられて、リオウも視線をはるか頭上まで続く兵器へと、瞳を向けた。
あまりにも強大な力は、ひどく威圧を持ってリオウを刺す。
たとえ、この力を操る鍵を握っているとしても、それは完全な安心を与えてはくれない。この力はあまりにも強大で、この手は余りにも非力だ。
成功よりも失敗の可能性の大きさが、リオウの肩に、身体に、圧し掛かる。
そして一族への重圧は、ずっとずっとリオウを強く押しつぶしている。
けれども、だからこそリオウは前進以外の選択を取らない。考えもしない。
期待と羨望しか知らず、愛を与えられなかった孤独の子供には王になるという以外の思考はないから。
バニキスは、目の前の兵器を見上げて、さぞ楽しそうに笑った。
世界一の玩具を与えられてしまった魔物を愛おしんで、蔑みながら。
彼の中に後悔や背徳感、そして恐怖なんて人間らしい感情は微塵も存在していなかった。
確かに、このファウードはリオウの言うとおり、人間界を滅ぼすおぞましいものだろう。けれども、バニキスにとってそれは歓迎すべき事態だった。
前々から、この世界の存在価値など、とうにバニキスの中には存在していない、遠い昔に捨ててきてしまった。
今バニキスにとって価値のあるものとは、リオウという魔物一人の存在であり、其れ以外のことはどうでもいい。むしろ邪魔ですらあった。
これがあれば、全て滅ぼせる。
もう一度、バニキスの背筋を何かが伝った。
―――これがあれば、お前も自由にしてやれる。
それぞれが思惑をかみ締めていた長い沈黙の末、リオウは視線を下ろし、静かに吐息をついた。
押さえ来る感動と、微かに体内に疼く痛みを一気に吐き出すように。
「―――――いくぞ。バニキス」
「あぁ、それにしても、本当楽しみだな。本当に世界を滅ぼしてくれるのか?」
「あぁ。お前がそういうつもりなら、俺も容赦する必要は全く無いからな」
「いいな、ワクワクしてきた」
2人して、浮かれたような表情でファウードに背を向けて歩き出す。
その姿を全否定するように一際風が大きく刃を向けたが、それは2人に届くことなく、静かに空へ溶け込んで消えていった。
まるで、神が裁きを下す前に警告するように。
それを聞いていれば、今、この隣にお前は居ただろうか。
そう言って、今更捨てた神に縋るほどお気楽にできてはいないけど。
23巻扉絵より妄想。
雰囲気は割と静かなものができたと思います。ただ、いつも描いてる感情描写をガッと勢いで書上げたものではなくこうやってある程度話を流したものを書くときちんと雰囲気のでている文章や見れる話がかけているか不安です。
こういう話を書こうと思うと、先走りそうになって、そして後から何を書きたかったのか解らなくなっちゃうんですよね。
今後の課題でございます。