長いこと意識を失っていたのだろう。
目をあけて、傷ついた身体を起こす。途端に襲ってきた痛覚に、さすがに顔をしかめた。
クソ。こんな痛みは久しぶりじゃねえか。
辺りを見渡せばだだっぴろい部屋にはただ俺一人。俺と戦ったあのウォンレイとかいう魔物と女達がいないということは、背後にある階段から先へ進んだのだろう。実際、先ほどから階上が騒がしい。派手にやらかしているようだ。
誰も居ない。ここには俺一人しか、今はいない。
ウォンレイは、俺に勝って仲間の女達と共に先へ進んだ。







――――――そして、アイツは。







そこで、身体的ではないような痛みを微かに自覚させた思考を強引に振り切る。再び固い床に寝転んで、高い頭上を仰いだ。
俺とアイツの性質に合わせたように中華風に造られている天井は、この数ヶ月間で大分慣れていたようで、すんなりと視界に馴染む。時折見える、柱や壁の傷痕や、崩れて覗く青空は俺とアイツでつけたものだ。
組み手の時によく破壊してあの仮面の魔物が馬鹿みたいに怒っていた記憶はまだ真新しい。
「――――――」
その記憶を辿ったまま・・・名を呼ぼうと口を開いて――――やめた。







なにを、やっているんだ。俺は。
柄にもなく重い息を吐き出して、再び身を起こす。
あの不思議な本と、この隣にいた小さな魔物が消えたって、どうってこたぁない。
ただ、小うるさい餓鬼一人が居なくなっただけだ。
また、あくるない戦いの中に身を投じればいいだけじゃねえか。
今までだって、そうして・・・。







「―――――チッ」
そこで、そう言い聞かせている自分に気が付いた。悔し紛れのように舌打ちを吐き出して―――あまりの馬鹿馬鹿しさに、鼻で笑ってみせる。
正直に感情を吐露してみれば、後悔や、自虐や、痛みや、喪失感や、色んな重てぇもんがない交ぜになっていて、今までに無く呼吸が息苦しいのは、本当だ。
「・・・くそったれ」
この世界からお前が消えた。たったこんな事で。
苛付いて、思い切り壁に拳を叩きつける。
決して脆くは無い壁面には、あっさりとヒビが入って、いくつかの石片は崩れ落ちた。







「――――ツァオロン」







あぁ、認めてやるよ。痛ぇよ。
この手から、あの魔本が消えた。
この隣から、あの小さな魔物が消えた。
確かに、痛ぇって思うよ。







あぁ。







お前の存在は、思ったよりもでかかったって事だ。
「――――ツァオロン」
名前を呼んだって、還ってくる声は無ぇ。当たり前だ。
俺とアイツが存在する世界は、もう共通していない。ここからは、お前の姿なんて少しも見えないのと同じように。
それは、過ぎた世界が既に終わりを告げている証。
記憶の端端に残るお前の会話からつなげると、もうお前という存在に触れる可能性は、無に等しいらしい。
けれど、そんなもの。







待ってろよ、と低い声で呟く。怒りなんだか、決意なんだか、わかんねえまま歩き出した。
「――――ツァオロン」
もう一度、その小さな存在の名前を紡いで――――風にのせてやる。まぁ、届いたら笑えるな、ってぐらいの軽い感情で呼んだものだったが、俺がアイツを求めていることには変わりなかった。
外に出ると、雲ひとつねえ空が広がっていた。俺は旅には相応しいじゃねえか、なんて呟いて、もう一度お前を呼んだ。
待ってろよ?ツァオロン。
俺が、お前を呼んでやる。
俺が、このでっけえ壁をぶち壊すまで、忘れないように呼んでやる。
「どうせ、お前も呼んでんだろうからな」
確信めいたものを感じて、俺は笑った。
「なぁ、ツァオロン?」







ざぁ、と返って来たように強くうなった風に、俺は楽しくてたまらなくなって、声をあげて笑った。







(ほうら。呼んでんじゃねえか!)












うちの玄宗はなんだかいい人ですね。もうちょっとアイツは馬鹿だと思うのですが(爆笑)
玄宗は見るたびに格好いいなぁと思います。ときめきがとまらんぜ…!!
とりあえずツァオロン送還後の玄宗。のお話。
少し切ない話を書きたかったのに沸いた頭ではどう転んでも無理だっただぜ!って事でした(笑)