まるでデタラメだ。
あの男が、まるで体格が己と違う魔物に無謀にも飛び込んでいくのを見て、最初に思ったことだ。
全てを自分の手で破壊しつくそうとする傲慢な瞳で繰り出される拳は、荒々しさしかなかった。
けれど視線を外すことはできなかった。
―――戦うために、生まれてきた男。そんな存在だとすら、思った。
(ああ苛苛する。本当に苛苛する)
ツァオロンは柱に背を預けて、無謀にも独りで二人の魔物を相手する玄宗を、怒りを隠す様子も無く観察する。
感情が高ぶりすぎて収まりきらないのか、爪先が上下に動いて床とぶつかり、軽い金属音を立てた。
(どうしてアイツは、ああなんだ!)
思い切りツァオロンが鋭い目で睨み付けたって、戦っている玄宗は気付きやしない。
―――わざと無視しているともとれるのだが。ツァオロンにはそれが正しいような気がしてならない。
玄宗はさぞ楽しそうに、生き生きとした表情で二体の魔物と果敢に格闘していた。
ツァオロンと言えば、玄宗に「邪魔するなよ」と言われてしまい、最初は否定したものの、結局独りで勝手に飛び出していった玄宗と一緒に戦う気にもなれず、黙って格闘の様子をを見ていた―――のだが。
(―――完璧に、遊んでいるだろう)
格闘が始まってすぐ、ツァオロンは溜息を吐き出した。
戦えない不満でも、身勝手な行動をされた怒りでもない。 呆れた感情が思わず漏れた。
玄宗は二人をいっぺんに相手できるからか楽しそうではあったが、対してどこか気だるそうでもあった。
適当に技を受け流しながら、相手が必死にならなければいけないような状況まで追い詰めていく戦いをしている玄宗に、もう一度重い溜息がツァオロンの唇から零れ落ちる。
(アイツの頭は筋肉か?あの馬鹿め!)
だんだんツァオロンの体内からふつふつとした感情が沸きあがってくる。それは自然と理不尽な怒りに変わり、ツァオロンにしては珍しく理性めいた思考を欠いた目線で玄宗の戦いを見守ることになった。
「ははっ!本気で来いよテメエら!!」
だんだん追い詰められた二人の魔物は、お互いのことも忘れてどんどん強力な術を出していく。そうなれば玄宗とて先ほどのように楽勝な戦いにはならない。
ずっと不利な状況になってしまったというのに、それでも玄宗はずっと楽しそうに笑った。
激しい爆音と共に床をえぐった強力な呪文を紙一重でよけて、玄宗は思い切り踏み出した。その重い体躯でどこからそんな速さが、と思うほどすばやい仕草で一人の後ろに回りこむ。
ツァオロンが決まったな、と思うと同時に玄宗は強力な一発を繰り出した。
ぐぁあ、となんとも汚い悲鳴を撒き散らしながら魔物は床に屈する。
そうなれば、もう圧倒的に玄宗が優勢だ。ぎろり、と残った一人を鋭い捕食者の目で捕らえる。
その口元は戦いへの純粋な喜悦に歪んでいた。
怯えのあまり魔物は逃げ出すが、もう遅い。ツァオロンは冷ややかな色を浮かべてよろけた後姿を見る。
一瞬で回りこまれ首根っこを掴まれた魔物は―――激しい音を立てて床に叩きつけられた。
ツァオロンは戦いが呆気無く終わってしまったことでひどく退屈気な色を瞳に宿した玄宗を見て、もう一度 重い溜息を吐き出した。
「終わったのか」
鋭い声で後ろから話しかけられ、玄宗は振り向いた。 思い切り眉根を吊り上げて冷たい瞳で見上げてくるツァオロンを見下ろして、不思議そうな表情を作る。
「何だよ、ちゃんと倒しただろうが」
「そういう問題じゃないと、何度も言っているだろう。また適当に遊んだな」
ツァオロンははぁ、と溜息をついて腰に手を当てながら呆れた表情を浮かべる。
やはりまだ怒りは燻って消えない。
「はっ、最初から手ェ抜いて戦っていたから実力を確かめてやってたまでだろ」
それでも動じるどころか面倒くさそうに飄々と吐き出した玄宗は、にやりと不敵に笑った。
(本当に楽しそうだな…戦った後はいつもそうか)
ツァオロンはその表情に、次第に自分が怒っていることが馬鹿馬鹿しいと思い始める。 何を言ったって聞きやしない。いつだって戦いのことしか頭に無い。
そんな馬鹿に腹を立てるなんて―――いっそこっちが馬鹿みたいだ。
「―――それで、満足か?随分楽しそうだったじゃないか」
「まぁ、それなりにな」
服が汚れるのもかまわず玄宗は顔に飛び散った血をぬぐいとる。
「弱い魔物ではなかっただろう」
それでも、お前には到底適わなかったが。
きっと言ったら玄宗に珍しい目で見られてからからかわれるだけなのでツァオロンはその言葉を飲み込んだ。
玄宗は、つまらなそうにふん、とツァオロンの言葉を一蹴する。
「満足そうに見えたか?」
「まさか」
ツァオロンは即答した。この男は戦いを楽しんでいるが―――戦いに満足した姿など、一度も見たことはない。
玄宗はその返事にもう一度笑う。血で汚れた上着を脱いでツァオロンに放り投げた。それをツァオロンは眉根を寄せて受け取る。(全く、俺はお前の召使でもなんでもないというのに!)
「まだまだ、あんなヤツらで満足なんかできるか」
血のにおいを濃厚に振りまく玄宗の瞳は、ひどく乱暴な光を浮かべている。なのに言葉に表せないほどまっすぐだった。
その表情も瞳も、強さをただまっすぐに追い求めている。
まるでそのためなら安全も命も惜しくないと簡単に言ってのけていた。
ツァオロンは小さな鉛玉を飲み込んだように腹の底が微かに重くなるのを感じる。
「そのうち死ぬぞ、お前」
強さを求めている。
常識や枷になるものをその傲慢な願いひとつで簡単に捨ててしまったのだ、この男は。
ツァオロンは溜息交じりの吐息を吐き出した。
(―――じゃあ、俺は?)
不意にそんな疑問が、一滴の墨が真っ白い紙に染みを落としたかのようにぽつり、と浮かんだ。
(戦いも、強さも愛おしい。のだろう、きっと。けれど―――今、俺はそのために生きているのだろうか)
考えて―――違う、とツァオロンは胸中で呟いた。
俺は、もうこの男みたいに強さを追い求めてはいない。
俺が生きているのはもっと馬鹿馬鹿しい理由だ。
しかしツァオロンはそれを言葉にする術を持ち合わせていない。
ひとしきり考えても、己の感情は説明つかず、ツァオロンは諦めた。玄宗の服を突っ返してきびすを返す。
(…馬鹿なことを考えた)
下らない、と先ほどの疑問をやや強引に打ち消そうとする。そんな背中に、玄宗の声が響いた。
「まだ死なねえよ」
ツァオロンの足が止まる。横目で振り返ると、玄宗は笑いながら、きっぱりと言い切った。
「退屈な戦いを適当に愉しんだまま死んでたまるか」
戦うためだけに生きている。
硝煙と濃厚な血の匂いが立ち込める世界を愛しながら、ただひたすら強さを求めて生きている。
当たり前だろう?とでも言いたげな玄宗の口調に、思わずツァオロンの口からは吐息が漏れた。
「…お前はそうだろうな」
ツァオロンの答えとあきれたような表情が不満だったのか玄宗はむ、と眉根を寄せた。
「何だよ。お前は違うのか?」
「俺は―――」
ツァオロンは沈黙する。 まだ答えを見つけられていない感情を説明できるはずも無く、ツァオロンは微かに首をかしげた。
俺は今、何を望んで生きているのだろう。何を欲して生きているのだろう。
戦いたい。戦って死にたい。
その感情をよみがえらせたのはお前だけれど。でも俺はそのために生きている訳じゃない。
俺は――――。
考えて、考えて。
いつの間にか玄宗が興味を失って適当に修行しているのにも気付かずツァオロンは考え込んで、不意に こみ上げてきた感情にはじかれたように顔をあげた。
(……あぁ、そうか)
胸に浮かんできた想いはあまりにもちっぽけで、くだらなくて、たいそう小さなものだった。 思わずツァオロンは笑った。
「……ツァオロン?」
玄宗が始めたばかりの修行の手を止めて、ツァオロンを大層訝しげな瞳で見る。 ツァオロンは何でもない、と呟くと一人で納得したようにそうか、と呟いた。
「何がだよ?」
玄宗は益々変なものをみる表情でツァオロンを見下ろす。
ツァオロンは、はぁ、と溜息をひとつ零してまた微かに笑った。
解った。
俺は戦いじゃなくて、この男のために生きているのだ。…それが、何て言うかなんて知らないが。
その感情が、愛とかそんなもので片付けられるなら、事はもっと簡単だ。
でも、そんなものじゃない。
これはどう名づければいいだろうな。どうすれば説明がつくだろうな。
なぁ玄宗、一体これは何だろうな。 心の奥底から湧き上がってくる、今にも焼かれてしまいそうなほど熱い、これは。
―――少なくとも、愛とか、そんな生易しいものじゃない。
なぁ、玄宗。
お前と共に戦えるのなら、俺はこの生涯がもう無くなってしまったっていい。
今、俺の中にあるのは、それだけだ。
…それしか、無いんだ。
非常に難産なお話でした…。
書いてるときあーでもないこーでもないといいながら結局ぴたりとくる言葉が見つからずに書いてしまったような…
ああでも書いてから読み直すと、ずっと悩んで書いたせいかいつものあの意味の不明瞭さはちょっぴり…ほんの少し無いような気がします。
とりあえずやはり鍛えなければいけないのは文章の構成力だと思った今日この頃。
…頑張りまーす。