アニキ、と。
今にも消えてしまいそうな声だと自覚しながら、震える感情を必死に抑えて手を伸ばした。
「ツキタケ?」
アニキは、ひんやりとした、血の巡らない手で、同様に冷たいオイラの手を握る。
「どうした」
いつも絶対の安心を与えてくれるはずの優しい声音に、また恐くなった。
アニキ。
アニキ。
恐くて、恐くて何回も、アニキの名前を呼ぶ。
アニキは、何にも言わず、優しく俺の頭に手をおいた。
ついさっき、霊に襲われた。
もう、自我なんか保てなくなっていた姿は、驚くほどきっと人間だった原型を保っていなくて、そのあまりの気持ち悪さに一瞬だけ身がすくんだ。
でも、その一瞬が、命とり。
オイラは、あ、と言う間に襲われて―――――鋭い爪で切り裂かれて覗いた右の二の腕から、まるで血のような赤いものが空中に流れた。
でもそれは血じゃあない。赤い液体から、ただの半透明な魂そのものに戻り、空中へと霧散していく。
オイラは、その光景にまた身がすくんで、動けなくなった。
思わずがちがちって寒くもないのに歯が震えてかみ合わなくなって、泣くこともできないぐらい頭の中がいっぱいになった。
にやり、って目の前の陰魄はもう一回、オイラを襲おうと掴みかかってくる。それでも体は動かなかった。
恐かった。ただひたすら恐かった。
救ってくれたのはアニキだ。
俺の代わりに攻撃をもろに受けた。オイラと同じ右腕に、穴ができる。
アニキは大きな背中で俺の視界をふさぐと、いつもの大きなハンマーをとりだして、一発で霊を倒した。
「アニキっ…アニキッ」
その右腕からまだ魂の放出は止まらない。
恐くて恐くて仕方なかった。これぐらいじゃあ消えないと判っていても、その傷口からでていく魂の欠片たちがどんどんアニキの存在を消していくようだった。
アニキを形成する、大切な欠片が、減っていく。
恐くて恐くて仕方なかった。
「アニキ、ごめんなさい…」
その放出を、せめて抑えるようにアニキの右手に手をあてて、小さな声で謝る。
すると、アニキは訝しげに眉根を寄せてなんで謝る、と問い掛けてきた。
「だって、オイラのせいで、怪我したでしょ」
怪我、という表現はこのとき正しくなかったかも知れないけれど、其れ以外に言葉が見つからない。とにかくオイラは情けなくて仕方なかった。
「オイラのせいで、アニキ、怪我したんだ」
あそこで躊躇わなければ。せめて全速力で逃げていれば。
たとえ危険な旅路になってもアニキについていく、と決めたのはオイラなのにこうやって足手まといになっていることが情けなかった。
だから、とつぶやいたオイラの頭を、またアニキが優しく撫でる。
見上げれば、アニキは、
「謝るのは、俺だ」
と、いつもの淡々とした表情で俺をまっすぐ見下ろしていた。
「・・・どうしてアニキが謝るんですか?」
とても優しい声音に、オイラは問い掛ける。
だって、そうじゃないか。俺が足手まといになってアニキに怪我をさせたのに―――。
アニキは、小さな俺に合わせるように視線を落として――――告げた。
「お前を守れなかった」
そういって、オイラの傷口に手をあてる。
そこから、ぽう、と優しいものが流れこんでくるのが判った。アニキの方がずっと酷いのに、オイラに魂を分け与えてくれているんだ。
「お前に、怪我をさせただろう」
違う。
「すまなかった」
違います、アニキ。なんで、アニキが謝るんですが。
そう言いたかった。けれど言葉に出来なかった。
オイラは思わず泣きたくなったけど、ぐ、ってそれをこらえて唇をかみ締めた。
アニキのくれる愛が、その大きな愛がとても嬉しかった。
アニキの言葉も、優しさも、どれもこれも愛おしかった。
だからこそ、それでもこうやってしなくてもいい怪我を負って、アニキに責任を感じさせた自分が嫌だった。
アニキの愛を受け取るなら、オイラは弱くちゃいけない。覚悟、ってやつをしなくちゃいけない。
アニキの愛にこたえるだけの強さがなくちゃいけないんだ。
こうやってアニキがまたフラストレーションってやつを溜め込むようなこと、二度としちゃいけない。
オイラはもっと、強くならなくちゃいけないんだ。
「アニキ」
オイラは、震える手をアニキへ伸ばす。
アニキは、強くもなく、弱くもなく、優しい手でオイラのそれを握ってくれる。
幸せだと、その時強く感じた。
「ありがとうございます」
オイラ、もっと強くなりますから。
アニキが安心してオイラに背を任せて、安心して愛を与えられるぐらいに強くなりますから!
あぁ、アニキの愛を受け止められるぐらい、強くならなくちゃ!
ガクが愛を与えて、ツキタケが愛を与えてるって感じがするけど、受け取るほうも大変だよなぁ、とふと考えて書きました。
ツキタケは最初のうちは色々ガクに対して考えているといいなぁと思います。